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かいせつ

1988年夏、勝新太郎は映画『座頭市』製作発表記者会見を行った。「“時代劇の座頭市”が現代の東京にふらりと現れたとき、それもイーグルスの曲にのって。そんな出来心がこの映画の発端だよ」

昭和の終焉から平成の幕開け、時代の変革期に勝新太郎はそのキャリア、才能、精神の全てを叩き込むようにしてこの映画につぎ込んだ。 1989年2月、公開日の2月4日を間近にしてぎりぎりまで編集
作業を行って映画は完成。松竹の配給により全国の劇場でその全貌が明らかになった。スピード、重量感、日本映画の黄金期を築いた迫力はいささかの衰えもなく、水を得た魚のごとくスクリーンに煌めく“勝新”は観る者を存分に楽しませ、その年屈指のヒットともなった。


下母沢寛の小編「ふところ手帖」に綴られた“仕込み杖を持った居合いの達人、めっぽう強い按摩”というキャラクターが「座頭市」の元になったことは有名である。この発見こそが後のアクション映画を大きく変える一大事件であり2004年の現在まで国民的な人気を獲得するヒーローの誕生である。日本映画の勃興期から活躍する犬塚稔の脚色の力も当然大きいのであるが、このモチーフを大きく育て上げたのは勝新太郎その人であることは否めないだろう。

1954年、スター候補生として大映京都撮影所に入社した勝は会社から期待された二枚目路線に低迷、各地の館主から敬遠され、企画会議においても「白黒フィルムで撮れ(カラーフィルムは高価である)」と社内でも見放されるような存在だった。しかし1961年、日本初ともいえるピカレスク・ヒーローを描いた「不知火検校」で得たリアルな演技への感触が彼を目覚めさせた。盲目の悪漢が人間の欲望や悪といった闇に光をあてるという反理想主義は自然な形で「座頭市」の魂につながった。
以後26作。娯楽時代劇という設定を常にふまえ、怒濤のように製作されたシリーズは様々な矛盾をはらみつつ急速に近代化する社会を背景に、観客と共に普遍性を勝ち得たのだ。

勝新太郎は当初、この作品によって“座頭市の死”を構想したという。映画産業や芸能界、社会の動きやモラル。そんなしがらみの中ですら365日・24時間映画と演技を考えぬき、その芸の美学を実践してきた男の最期の夢。それがこの1989年版「座頭市」なのだ。

 

 

  STORY

牢からようやく赦免になった市は疲れた体を癒すために馴染みの老侠客、儀助(三木のり平)を訪ねた。
儀助はあたりを取り仕切る若親分の五右衛門の賭場が今夜開かれる事を市に教える。五右衛門は勢力争いに決着をつけようと、八州見廻りと癒着し、血なまぐさい悪事を働いていた。賭場で一人勝ちした市に因縁をつけるヤクザ
達を見事な啖呵で切って捨てたのは女親分「菩薩のおはん」(樋口可南子)だった。おはんにとっては市はあこがれの侠客だった。道ばたで出会った不思議な浪人(緒形拳)は市に「色」を教える。一夜の宿を同じくした二人はお互いの孤独を察し、心を通わす。浪人は市に言う「お前は目が見えなくて幸せか?」。市も尋ねる「お侍さんは目が見えて辛いことは無いんですかい?」と。
五右衛門の最後の敵は、赤兵衛(内田祐也)一家だった。しかし八州はそのどちらにも通じ、見返りを要求していた。赤兵衛は村の生娘おうめ(草野とよ実)を差し出す。おうめは親を無くし、幼い妹弟達の面倒を見る薄幸の少女である。市は子供達に手を引かれ、おうめの家に身を寄せていた。おうめをすんでの所で助け出す市。五右衛門と赤兵衛一家の出入りが始まった。そして五右衛門に雇われているあの不思議な浪人との最後の闘いが、市を待っていた。

 

  みどころ

「座頭市」こそは日本映画最高の人材と資金を擁して製作された未来への贈り物。

直接製作費13億円、準備期間120日、撮影日数136日、出演者(エキストラ含む)1800人、使用フィルム15万ft(30時間以上)・・・・。広島県「みろくの里」に3億円の宿場町のオープンセットを建設、八州の登場や五右衛門と赤兵衛らの大抗争のシーンはここで撮影された。また儀助の家は秋田県の海辺で撮影された。東京調布のにっかつ撮影所などではセット撮影が行われた。キャストとスタッフにはさすが“勝組”といえる顔ぶれが揃い、持てる個性と技術が発揮された。演出においての勝新太郎は、各キャラクターの台詞、所作、表情を完璧に自分の中で再生させ、役をキャストとスタッフに理解させるといった手法をとる。ベテラン緒形の哀愁、樋口の色気、陣内のスピード感、奥村雄大の殺気、台本の奥深いところから勝がそれぞれに細かく人格を設定していくのだ。また台本が現場で書き直される事も多いのが“勝組”の特徴。ベテランによる手堅い画面づくりの中にも、その場のインスピレーションを生かしたリアルさが存在するのはそのせいだろう。5〜60年代黄金期に培われ、世界に誇る伝統的映画づくりの技術と勝のねばりが昭和と平成のはざまに奇跡的に結晶した。

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