深笛義也とは!? (深笛義也ホームページLink)
週刊新潮「黒い報告書」執筆、「お江戸でござる」構成、「日本風俗業大全」監修など、
幅広く活躍する。インターネットが普及しはじめるのと同時に、女性達が何を考えている
かを知るために、出会い系サイトに出入りするようになる。この時期すでに、女性が作っ
たホームページを紹介する「ハートクリニック インターネットで恋しちゃおう」を発刊。
彼女たちの悩みを聞いているうちに、自然と会うことも多くなる。知らず知らずのうちに、
周囲からは「ネットナンパ師」と呼ばれていた。
自身の過去をつづった小説も現在執筆中。18歳の頃より、強引な成田空港建設に反対す
る農民の信条に共感し、反対闘争に身を投じる。現地の団結小屋に住み着き、農民を支援。
機動隊員との肉体的衝突は数知れず、逮捕歴3回、起訴有罪1回、半年近くを千葉刑務所で
暮らす。空港にロケット弾を打ち込むなどのゲリラ闘争にも、数多く参加している。
闘争のかたわらナンパも行い、革命理論を駆使して口説き落とし、女子大生に大学をや
めさせ、2年間同棲した。深笛が参加したセクトはいわゆるレーニン主義党で、各地区メ
ンバーが横の交流をすることは禁じられていた。その禁を犯して、他の地区の女性メンバ
ーをナンパ。幹部の目を盗んでデートしていたこともある。
自分の所属するセクトはただ農民を利用しているだけだと悟り、29歳の時に闘争を離れ
文筆の道を目指す。ソビエトが崩壊した年には、中南米を放浪。3ヶ月滞在したニカラグア
・レオンでは同じ下宿のアルゼンチン娘と片言のスペイン語でいい仲になるが、ビザ切れ
で 出国せざるを得なくなる。バスを乗り継いでロスまで行く。95年。オウムのサリン事件勃発。それまで部屋でゴキブリを殺したこともなかった深笛
は、人ごとではないと戦慄。刺殺された村井氏が「カモメのジョナサンになりたい」とオウ
ムに入った事を知り、「いつまでもカモメのジョナサンでいてはいけない」とエロライター
になる。徹底した現場主義で、乱交パーティ、SMクラブはもちろん、ニューハーフヘルス、
ホモサウナなどにも出入りし、自らも女装する。その集大成が「日本風俗業大全」だ。
(最近の著作)
97年、いきつけのトーク居酒屋を、何の因果か自分がかつて所属していた組織が襲撃する
事件が起きる。これを批判する文章を深笛が発表したところ、その組織は機関紙に、深笛が
乱交パーティ、SMクラブに出入りしていることを批判、女装写真を掲載した。左翼の機関
紙に女装写真が載ったのは、日本革命史上初めてのことである。